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2015年10月30日 (金)

北欧の物語 2作品から  その1

『世界の果てのビートルズ』(ミカエル・ニエミ著 新潮社)

スウェーデン北部にあるトーネダーレン地方パヤラ村は、オーロラが見えサーミ人がいる世界の果て。1960年代、主人公のマッティは、アメリカから来たいとこにビートルズのレコードをお土産にもらいます。音を聞いた時の爆発的な衝撃!そして、主人公はギターの魅力にとりつかれていきます。

結婚式で一族が集まった時のこと、酔っぱらった男たちは盛んに先祖の自慢話を繰り広げます。

・馬の足が萎えたとき、じいさんは木を三本積んだ上に馬をくくりつけたそりをたったひとりで家まで引いてきた。

・大おばが、森で木の実を摘んでいるときにクマに会い、薪を採るために持っていた斧で殺し、解体して、剥いだ毛皮で肉をくるんで背負い、家に持ちかえった。

・あるふたごは、放っておくとアーレアヴァーラの森の木を全部切り倒しかねないので、毎晩木こり小屋のベッドに縛りつけられていた。

・力持ちで、根気があり、忍耐強く、勤勉で、なによりも慎み深い労働者であり、フィンランド語を話す世界のどこを探しても、わが一族にかなう物はない

この物語は作者の自伝的小説です。荒々しいバイキングの末裔たちの、どでかい話は今も、昔話として伝えられているのですね。極寒の地で生き抜くには、なにより忍耐強く辛抱強いことが求められ、男たちは酒の飲み比べをしたり、サウナで我慢比べをします。

成長してきた途上で、誰しも思い出したくない生々しいエピソードがひとつやふたつあるはず。凍てつく川と凍った大地に住む少年たちの、可笑しくもあり郷愁をそそる物語でした。

2014年11月 8日 (土)

「落ち葉」と平山和子さん

去年の秋は縄文時代のDNAが突然目覚めて、どんぐりを見れば拾わずにはいられない衝動にかられました。『のはらうた』(工藤直子作 童話屋)に出てくる”のねずみしゅん”のように。つやつやのぴかぴか、とがってて丸い、うっとりするようなどんぐり!今年はどんぐりに関しては、至極平静です。私のどんぐりへの衝動は、周年単位で襲ってくるものかもしれません。

毎年、秋になると思い出す本があります。平山和子さんの『落ち葉』(平山和子 文と絵、平山英三 構成と写真 福音館書店)です。今から30年くらい前のこと、平山さんは黒姫山の林で一枚の落ち葉を見つけます。「なんと美しい落ち葉だろう」

色あせて変わって行く落ち葉の美しい姿を残したいと、それ以来落ち葉の絵を描かれ、数百点の落ち葉の絵から厳選した絵がこの本に収められています。木とつながって風に吹かれていた余韻を感じさせるような、いきいきとした落ち葉の絵は、黒姫山の山々のつらなりや、流れ出る冷たくて透明な水さえも感じさせます。

平山さんは、夫の絵本作家である英三さんとともに、落ち葉の絵の展示を「落ち葉美術館」として89年から16年間続けられました。子どもの頃から植物の世界に魅せられていた平山さんは、『くだもの』『おにぎり』『いちご』(福音館書店)などの素晴らしい絵本を作られています。

それらの絵本の良さを語る言葉として、「本物よりも本物らしく描かれている」「おにぎりやくだものの背後にある、人の気持ちの暖かさが伝わる」などがあります。絵本には、落ち葉の美に魅せられて一途に対象を見つめる作者の姿勢がよくあらわれています。平山さんの絵本は、繰り返し見ても飽きることがありません。自然が作り出す美に強く真摯にうたれる気持ちを、作者と共有できるからだと思います。

そろそろ、落ち葉の季節ですね。

<参考資料>

『絵本作家のアトリエ 3』 福音館書店母の友編集部編 福音館書店

2014年10月15日 (水)

たのしい川べ ケネス・グレアム

ケネス・グレーアム作『たのしい川べ』(岩波書店)の読書会をしました。

『飛ぶ教室 32』(光村図書)に、斎藤惇夫さんがイギリスの児童文学作家であるフィリッパ・ピアスさんと会った時のことを書かれています。ピアスさんに、一番好きな作品はと訊かれ、即座に『たのしい川べ』と答えると、ピアスさんは「わたしも!」と声を上ずらせました。「で、何歳の時に読んだの?」と聞かれたそうです。斎藤さんは10歳で、ピアスさんは8歳、それを聞くとじゃんけんに勝った少女のように頬を染められたそうです。

私がこの本を読んだのは、20代の後半くらいです。寒くて暗い冬が過ぎ、春の明るい陽が射すと途端に家の中の汚れが目につくようになります。そして、掃除を始める度に思い出すのは、モグラのこと。毎年飽きもせず、モグラのことを思い浮かべます。春の掃除をホッポリ出して、川へ行ったモグラは、そこで川ネズミと出会います。それから、二人は一緒に住むようになり、おはなしは進んで行きます。

『たのしい川べ』一冊を通して感じるのは、自然のすばらしさです。作者は、小さな動物たちも含めた自然の素晴らしさを、繊細なタッチで描いています。「あかつきのパン笛」の章に、パンの神を登場させていることからも、それが良くわかります。

作者は不幸な幼少時代を過ごしました。それで、家への思いが強いのかもしれません。川端にある川ネズミの家、土の下のモグラの家、森の奥にあるアナグマの家、立派な屋敷のヒキガエルの家、どれも住んでみたくなるように魅力的です。そして、なんといってもヒキガエル!この作品の中では、ヒキガエルが縦横無尽に、思いのままに行動しています。

この作品は、1940年に中野好夫訳で白林少年館から抄訳で出されました。1945年に石井桃子さんが英宝社から『ヒキガエルの冒険』として完訳で出され、1963年に版元は岩波書店に移りました。挿絵画家が翻訳者の石井桃子さんとつながりの深い『クマのプーさん』の画家であるE・H・シェパードというのが、石井ファンにとってはとてもうれしいことです。

2002年に出された岩波少年文庫に、それまでハード版にあった「ヒキガエルの冒険」という副題が取り去られたことに、気づきました。翻訳者の石井桃子さんのタイトルへの思いは、『石井桃子の翻訳はなぜ子どもをひきつけるのか』(竹内美紀著 ミネルヴァ書房)に分析されています。

毎年春になると、必ず思い浮かぶのは『たのしい川べ』の冒頭のモグラのシーンですが、冬になると必ず思い浮かぶのは、『ムーミン谷の冬』(トーベ・ヤンソン作 講談社)です。季節のシーンを好きな児童書とともに感じていくのは、楽しいことです!

2014年7月21日 (月)

「村上ラヂオ 2 」村上春樹作

先日、またにわかに空から雨つぶが落ちてきた時には、私が気づかないのを見越した家族が、「雨が降ってるよ」とわざわざ知らせに来た。洗濯物と雨降りに関して、戦力外通知を受けたようで、一抹の寂しさを感じた。

ところで、村上春樹作『村上ラヂオ 2 おおきなかぶ、むずかしいアボガド』(新潮社)で、私は村上春樹さんと同じ匂いが好きだということがわかった。「本が好きだった」というタイトルの項で村上さんは、十代の時学校図書館に箱入りの新刊が入ると、司書の人から不要の空き箱をもらい、その匂いをただくんくん嗅いでいた・・・と書かれている。「それだけで幸福だった」とも。

私は、新刊の匂いより書庫の古い本のかび臭さの方が好き。村上さんとは違うじゃないかとも思うが、本の匂いという大きなくくりでは同じにしておこう。私は小学生の時、田舎町の図書館で、長い時間椅子に座ってひとりで本を読んで過ごした。そこは、児童室というようなしゃれた場所ではなくて、児童書の保存庫のようなものだったと思う。入りたいと申し出ると、受付の人に嫌な顔をされたから。狭くて薄暗くて、人がいたのは見たことがなかった。

椅子がひとつ置いてあり、それに座って本が読めた。マチルダ(『マチルダは小さな大天才』ロアルド・ダール作 評論社)とは大違い! それでも、本に囲まれた場所とその匂いに包まれているのが、何より好きだった。長い間勤めていた、某市図書館の巨大地下書庫に入った時には、その匂い(香り)を肺の中に取り込もうと、人の話など耳に入らないくらいスーハーを繰り返していた。

村上さんは、ご自分の本棚にある幾多の引っ越しを生き延びてきた古い本の背表紙を眺めていると、「そうか、僕という人間は結局のところ、本によってつくられてきたんだな」と実感するそうだ。私の年齢にもなると、確かに本によって作られた自分がある。まだまだ、読みたい本がたくさんあるのは、幸せなことだ。いつまでも、読書に飽くことがないから。

図書館の本棚に並ぶこの文庫本を借りたのは、副題の「おおきなかぶ、むずかしいアボガド」が気になったから。「おおきなかぶ」は、あの福音館書店から出ている絵本の『おおきなかぶ』のことです。

2014年7月 1日 (火)

『石井桃子のことば』中川李枝子他著 新潮社

このところ、午後は雷雨という天気予報が多い。そのため、午前中に用事や買い物を済ませて、午後は家に待機するようにしている。雨が降る前に、洗濯物をとりこむつもり。家族のお昼を済ませて、さあ、お昼休み。本を読もう!

「外が真っ暗だよ。洗濯物をしまった方がいいよ。」本から目を上げて、初めて周りを見る。窓の外は暗くなっていて今にも雨が落ちそう。気が付かなかった・・・。今日で、注意されるのは3回目か4回目。梅雨に対して、うまいこと立ちまわっているつもりが。

この前は、ひどかった。夜のように大気が黒々としているのにもかかわらず、気が付かなかった・・・。確かに、電気はつけていた。本しか見てないので、おそらく首を動かしてもないし、瞬きもしていないだろう。集中すると、何もかも忘れてしまう。これでは、自分の子ども時代と変わらない。

今日読んでいたのは、『石井桃子の言葉』(中川李枝子他著 新潮社)。河出書房から出た『新しいおとな』など石井桃子さんのエッセイや、翻訳されたピーターラビットや『ちいさなうさこちゃん』のシリーズ、世田谷文学館であった石井桃子展の内容など、さまざまなことを脳裏に思い浮かべて読んでいたのだ。

石井さんは、読書についてこう書かれている。「子どもが本(文字)の世界にはいって得る利益は、大きく分けて二つあると思います。一つは、そこから得た自分の考え方、感じ方によって、将来、複雑な社会でりっぱに生きてゆかれるようになること、それからもう一つは、育ってゆくそれぞれの段階で、心の中で、その年齢で一ばんよく享受できる、楽しい世界を経験しながら大きくなってゆかれることです。」

瀬田貞二さんの場合と同じように、石井さんがこの世を去られてもたくさんの言葉や文章が本になって、形あるものとして残されるのはとてもうれしい。子どもの心を育む本やおはなしの活動に、自分の人生の時間を使っている者は、時として迷いが生じる。そんな時は、石井桃子さんと瀬田貞二さんがなにもかも答えてくださる。

それから、これも石井さんの言葉、「目を活字にさらしているとうれしいのです。」

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