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おはなし(ストーリーテリング)

2020年6月13日 (土)

「運定めの話」その8 遠野

遠野でわらべうたの伝承者である阿部ヤエさんの本に、宗教のはやし言葉が載っています。・・・聖徳太子 食れってえし 八幡太郎か 在郷太郎か・・・聖徳太子が仏教を広めたために仏事の功徳として大事な食糧をみんなに集めさせて大変な物入りだと言っているのです。「くれってぇし」は大飯食らいの役立たずということ、「八幡太郎」は源の義家でいくさの神様と言われています。八幡太郎(八幡神社)を信仰しろというが、戦の神様だから百姓には関係ないし、自分たちも太郎と名前がつく同じ人間なのだと言っているのだそうです。八幡神社は遠野の城主阿曽沼氏の氏神様だったため、信仰しろと言われて嫌だったのですね。源義経をひいきする東北の人たちは、遠野城主が源頼朝の家臣だったこともあるようです。「運定めの話」をこれまで解いて来て、「聖徳太子」も「八幡神社」もキーワードとして出てきました。遠く大分の話が北まで届くのもさもありなんです!

「わらべ唄にはどの唄の場合でもご先祖の心がうたい継がれていると言われていた。伝えられている言葉を替えてしまうと昔から伝えられてきたご先祖の心が伝わらくなってしまう。だから伝えられている言葉を一字替えても嘘になり役にたたなくたってしまうといって、少しでも違うと伝えられた通りにうたわせられた。」(『知恵をそだてる唄』阿部ヤエ著 エイデル研究所より)

以上で「運定めの話」については終了です。「真野長者伝説」は深堀すると渡来系の蘇我氏と真野長者(満能長者)の仏教を広めるためのコマーシャル的な話で大分から全国に鋳物師などが伝えて行ったのかもしれません。あくまで、私の推論です。真野長者は明らかに渡来系と思われるし、同じく渡来系の蘇我氏と組んで世を収めるために仏教を輸入して全国に広める必要があったのかもしれません。そして、それを実現したのがかの聖徳太子であった・・・。歴史ロマン的妄想はこの辺で~(^^)/

<参考資料>
『知恵をそだてる唄』阿部ヤエ著 エイデル研究所

「運定めの話」その7 柳田国男さんとわらべうた

少し前の日経新聞夕刊にノンフィクション作家の堀川恵子氏のエッセイが掲載されていました。詳しくは忘れてしまったのですが、自粛中に美容院に行けなかった人は多く、ご自身の周りのご友人たちも困っていたという内容でした。けれども、堀川さん自身は、以前400冊の本を読む必要があり、1年間家にこもって読み続けたら、髪に気を使わなくなったと書いていました。本を書くために、400冊を1年読み続けるパワーを凄いものだなと感じ入りました。

柳田国男氏は朝日新聞社に勤める前の明治35年から大正3年までは、法制局の参事官をしていました。特赦の担当で、特赦するためには膨大な資料を”年百年中”読む必要があったそうです。しかし、彼は文字を早く読むことに慣れていたので資料を読み込むことには少しも苦がなく、むしろ事件内容に興味を惹かれていたそうです。「炭焼き小五郎が事」は、柳田氏が全国の資料を丹念に読んでいる軌跡を感じます。今はネットで調べることができて便利ですが、当時は読む前に必要な資料を集めるだけでも相当大変だったのではないかと思います。

柳田国男氏は、昔話や伝説以外にもわらべうたから古の民の痕跡を探しました。例えば江戸のてまり歌から・・・遠から御出でたおいも屋さん おいもは一升いくらです 三十五文でござります。もちっとまからかちゃからかぽん・・・から、遠くから来たおいもやは鋳物師のことではないかと類推しています。一般的にお芋屋さんは遠くからこないからです。

岩手県遠野のわらべうたの伝承者である阿部ヤエさんは、わらべ歌は民衆の語り伝えてきた大切なものであり、歴史を後世に伝えるためにも伝えられた通り覚えて伝えるよう教えられたそうです。わらべうたや昔話に残る古の民の記録は、現代に生きる私たちもそのまま伝えて行きたいものだと思います。もう今では意味はわからなくなっていても、言葉ひとつひとつに古の民の記憶の断片が含まれているからです。


<参考資料>
『柳田国男 山人論集成』柳田国男著 大塚英志編 角川書店
『海南小記』柳田国男著 角川書店
『人を育てる唄』阿部ヤエ著 エイデル研究所

「運定めの話」その6 炭焼き小五郎

「炭焼き小五郎」こと「真野長者伝説」は、仏教との関わりも浮かび上がります。長者(炭焼き小五郎)と玉津姫の娘・般若姫は輝くような美しさで、朝廷は何度も都に上がるよう使者を送ったが長者は一人娘であるからと断り続けたという話もあります。そこで、娘の顔を絵に描いて箱に入れて都へ差し出したところ、皇子がそれを見て本物の姫を見たいと豊後に行ったということになっている話もあります。これを追求していくと昔話の「絵姿女房」へと行くのですが、この道へは行かないことにします。

皇太子は即位して用明天皇となりました。用明天皇の父は欽明天皇で母は蘇我稲目の娘です。そして、彼の第二皇子が聖徳太子です。聖徳太子の母は蘇我稲目の娘で穴穂部間人皇女。仏教を広く大和に広めたのは聖徳太子と蘇我氏でしたよね。炭焼き小五郎に都から会いに行った玉津姫は久我氏とされていますが、蘇我氏であると言われています。近松門左衛門は、「用明天皇職人鑑」という人形浄瑠璃にこれを題材に取り上げました。真野長者と玉津姫の間に産まれたのは、般若姫ではなくて聖徳太子だったという異説を元にしています。ふっ~、いろいろ説も流布していたのですね。ホームページを見ていくと、真野長者安曇野族説という説もあり歴史ロマン溢れる題材であることがわかりました。

「運定めの話」その5 炭焼き小五郎 

柳田国男氏の「炭焼き小五郎が事」は、大正10年(1921年)に東京朝日新聞に連載されました。私の手元にある『海南小記』(角川ソフィア文庫)では45ページもあり、氏が深く興味を持ったことがわかります。柳田氏は全国の伝説を入念に調べられているのですが、「炭焼き小五郎」は全国各地で昔話だけではなく実際の伝説として多く残っており、どこも似たような話が歴史となって定着して各地の神社・名所となっていることを指摘しています。小五郎(真野長者)は子ども時代は藤次でしたから炭焼き藤太がいたり、炭焼きは技術を持つ鋳物師でもあったので、イモジから芋掘り藤五郎などになったのではと推測されています。『子どもに語る日本の昔話3』(こぐま社)の「運定めの話」に出てくる炭焼きの名前は、”炭焼き五郎左衛門”です。五郎左衛門はなんだか人の良さそうなイメージを受けます。『日本昔話百選』(三省堂)の「炭焼き長者」の名前は”小五郎”で土佐に住んでいます。

真野長者は満能長者とも書きますが、「今昔物語」「大和物語」にもこの話はあり、それより昔の舞の本「烏帽子折」に牛若丸東下りの中に挿話として入っているので、かなり古くからある話のようです。柳田氏は大分の宇佐八幡宮との関連も指摘されており、全国津々浦々に八幡宮があること(八幡宮は、全国の神社の約半分をしめます)、宇佐八幡宮は鍛冶と縁があり古い神話を起源とする考えにも触れています。

大分は炭焼きが有名でその一部の人たちが椎茸栽培を始めたとのこと、確かに大分の椎茸は有名です。小五郎の子孫という方々も実際に臼杵にお住まいで、何代も家伝の花炭を作ってこられたとか。柳田氏は「炭焼き小五郎」のルーツを真野長者伝説ではないかとされています。炭焼きいわゆる鋳物師が全国を渡り歩き鋳掛をして広まった可能性が考えられます。『昔話百選』の解説にも、「中世のころ、山中を転住しながら鋳物を作り、炭焼きを副業とした人々が、運搬し広めた話とされる。そのせいか、各地の伝説になることが多い。・・・もと炭焼きの果報を宣伝する話だが、昔話は貧しく鈍ながら心清らかな人々の幸運と、人の宿命とを強調する」と書いています。次回は、この伝説と仏教について書きたいと思います。

<参考資料>
『海南小記』柳田国男著 角川書店(ソフィア文庫)
『日本昔話百選』稲田浩二・稲田和子編 三省堂
『子どもに語る日本の昔話3』稲田和子・筒井悦子編 こぐま社

「運定めの話」その4 炭焼き五郎左衛門 真野長者伝説

柳田国男氏の『海南小記』に「炭焼小五郎が事」という章があります。柳田国男は、豊後(大分県)の真野長者伝説を取り上げています。以下は、真野長者伝説です。大分県の蓮常寺と山口県の般若寺や市の観光案内のホームページを参考にしました。

奈良の久我大臣(蘇我氏)の娘玉津姫は、奈良の三輪明神に嫁になれるよう祈ると、「豊後の三重の里に炭焼き小五郎という若者がおり、この者と夫婦になれば長者になるであろう」と言われて、臼杵の港から小五郎の元へ行った。姫は小五郎に黄金を渡して買い物に行ってもらったが、小五郎は金の価値がわからない。買い物に行く途中、淵にいるカモを捕ろうと黄金を投げつけたが、はずれて黄金は淵に沈んでしまう。姫は、「あれがあれば、なんでも買うことができたのに」と残念がるが、小五郎は「あのようなものは、この山の中や淵にたくさんある」と言う。二人で見に行くと、そこは黄金が噴き出す淵だった。やがて二人は結婚し、炭焼き小五郎は真野長者と呼ばれるようになった。

長者と玉津姫は般若姫という輝くように美しい娘がいた。その噂は都まで上り、皇子は山路と名を変えて顔を見に来た。そして、長者の牛飼いとなって潜り込む。姫が病気になると、山王権現が「三重の松原にて笠懸の的を射よ」と告げる。山路は見事的を射て結婚の運びとなった時、都から兄の死去で天皇となるため迎えが来て都に帰り用明天皇となる。般若姫は子を宿しており、産んだ後男の子なら連れて都へ、女の子なら子を残して姫がひとりで来るように言われていた。女の子だったので、姫は百人の共と都へ上る途中嵐にあい、山口県の大畠で村民に助けられるが19歳でこの世を去る。

長者は般若姫の死を悼み唐の天台山に黄金三万両送ると、中国から連城法師が長者のためにやってきて開山(546年)、長者が法師のために建立したのが連城寺(554年)だそうで、大分で一番古い寺とのこと。(*仏教伝来は538年らしい)寺には998の薬師像があり、奈良・京都・大宰府・豊後の仏師が携わったそうで、たいした財力があった長者だと想像ができました。

<参考資料>
『海南小記』柳田国男著 角川書店
大分県連城寺 http://www.yado.co.jp/kankou/ooita/taketa/utiyamakannon/utiyama.htm
山口県般若寺 http://hannyaji.net/index.html
臼杵竹宵 http://www.takeyoi.com/usuki-takeyoi

2020年6月12日 (金)

「運定めの話」その3 言挙げをしない国

私は自粛中にNHKラジオの聞き逃しサービスから、「カルチャーラジオ 文学の世界」を聞きました。万葉集の第11回で上野誠氏は、「言挙げせぬ国」というテーマで話されました。今日、書店で『体感訳万葉集』(上野誠著 NHK出版)を見つけたので買ってきました。「万葉集」で、柿本人麻呂が「葦原の瑞穂の国は 神ながら 言上げせぬ国・・・」と書いています。大和の国は神々の御心のままに、言挙げなどしない国であるという意味です。

上野誠氏によれば、「言挙げ」とは、言葉の力を頼って、大声を発することを言い、「言挙げせぬ国」というのは心が通じ合っていれば多くの言葉はいらない、言葉は口から出ると言魂を持つので軽々しく言葉を発しないし言葉を大切に思うのが私たちの国である・・・ということだそうです。松岡正剛氏も、「「こと」は「事」であって「言」なのです。」と書いています。万葉集の時代には、「こと」は「事」と「言」の二つの意味を持っていたそうなのです。

言葉の重さを知っているから、説明しないし多言しない。口から出た言葉は言魂となるから、迂闊には口にしないということでしょうか?だから、大和は和歌や短歌の国となり行間をくみ取る文化になったと上野氏はラジオで言われました。神の加護と言葉の加護を信ずる国が大和という国だったのでした。

「運定めの話」では、そば神は他の米蔵や味噌蔵の神に向かって大声で言いいます。「わしを足で蹴るような旦那のいる家にはようおらん。わしはここを出て炭焼き五郎左衛門のところに行くつもりじゃ。炭焼き五郎左衛門はかかさまの今度の主人じゃけ。」これは、神様の言挙げではないでしょうか?神様は相当の決心をされたのかもしれません。「運定めの話」から私たちは、昔の人々が思う神様と信仰の生活を知ることができます。

<参考資料>
『日本文化の核心 「ジャパンスタイルを読み解く」』松岡正剛著 講談社
『体感訳万葉集』上野誠著 NHK出版
『子どもに語る日本の昔話3』稲田和子・筒井悦子編 こぐま社

「運定めの話」その2 産神さま

このはなしは、日本に古くからある人の運命の決定や出産には、産神・山の神やほうき神・杓子神・かわや神など多くの神がかかわるという信仰をベースにしています。神や精霊により産まれた子どもの運命が決定されるパターンはいくつかあり、これは、子どもの将来の貧富が定められる「男女の福分型」です。

私はこのはなしを読んで、子どもの頃に母に躾けられたことを思い出しました。私の子ども時代には古い日本人の信仰の名残が残っていました。確かに、箒の扱いに関してはとてもうるさかった。箒は神様だったからなのですね。「杓子(しゃもじ)についたご飯をかぶりついてはいけない。」「便所をきれいに掃除をすると綺麗な顔の子が産まれる。」そう、便所は毎日掃除をしてきれいにしておかなければならなかった。便所は母屋から離れたところにある汲み取り式で、そこに行く通路や庭も毎朝掃き掃除をさせられて。通路の途中に牛小屋があって、トイレの行き帰りが怖いし、汲み取り式の便所掃除も怖くて忘れもしない思い出です。それは、神様へのお浄めだったのですね。箒は悪霊を払い掃き清めて安産を願いますが、かつては祭祀用の道具でもあったそうです。鍋釜をいつもきれいにして台所を清潔にするのは、産神ではありませんが、竈の神への感謝の気持ちを捧げるためでしょう。

「杓子」が「しゃもじ」になったのは、江戸時代に宮島の琵琶の形がヒントになり「しゃもじ」を作り有名になったとか(ウィキベテア)。米を扱う杓子は五穀豊穣を祈る物でもあり、主婦が扱う道具です。「かわや」は古くは「川屋」で川のほとりに建てられたそうです。母屋から離して建て、家族の健康を守るだけでなく産神でもありました。昔話の「三枚のお札」では、男の子をかわやの神が助けてくれます。

「運定めの話」には、そば神をはじめ味噌蔵の神・米蔵の神、いろいろな蔵の神も出てきます。その話は次回に。

<参考資料>
『ガイドブック日本の民話』日本民話の会編 講談社
『日本昔話ハンドブック』稲田浩二・稲田和子編 三省堂

「運定めの話」その1 

私は自粛中に「運定めの話」を新しく覚えました。『子どもに語る日本の昔話3』(こぐま社)をテキストにしましたが、これは鳥取県のはなしです。『日本昔話百選』には鹿児島県のが収録されています。解説には、「「産神問答」とも言うように、出産の神である、山の神・箒神・便所の神などの問答で予知したとおりに赤子の生涯が展開する話。後半に「炭焼長者」のモチーフが付くことも多い。・・・わが民族の幽遠な昔の信仰心をうかがうことができる。」このおはなしの世界をいつものように掘り下げているのだけれど、奥が深くて迷いそうです。おはなしは以下の通りです。

旅に出ていた長者が、女房のお産に間に合うように急いで家に戻る途中で日が暮れてしまい、賽の神のお堂に泊まる。夜中にふと目が覚めると馬のひずめの音がして、杓子の神と箒の神が長者の女房のお産に行く途中で賽の神を誘いに来た。賽の神は急な泊り客があって行かれないから、安産させてやってくれと頼む。夜明け前に二人の神様はもどり、賽の神に報告した。長者の息子は青竹三本の運で寿命は49才まで、長者の小作人の娘は一日に塩一升使う運で寿命は88才を授けて来たと。神様の話を聞いて、長者は女房は男の子を産んだことを知る。

やがて、二人は大きくなり、長者は息子に家を継がせ小作人の娘を嫁に迎えてやった。道楽者で働かない息子のせいで家は傾き始める。女房が昼飯に出したそば餅を旦那は「こんなものが食えるか」と皿を足で蹴った。女房は家を出る決心をする。長者の蔵のそば神やたくさんの神もいっしょに出て行くことに決める。女房は山の小屋に泊まるが、そこは炭焼き五郎左衛門の小屋だった。あくる朝女が小判を1枚男に渡し、里で米を買うよう頼む。男は途中の池にカモが2羽いたので女にとってやろうと小判を投げたが、小判は池に落ちてしまう。男は残念がる女にそんなものなら、自分の炭焼き窯の後ろにあると言い、見ると確かに金があった。そして、二人は結婚し長者になった。

ある日、女の元の旦那がかごを売りにきた。元の旦那は一日に青竹三本切って、ざるやかごを作って売り歩いていた。女は哀れんで藁のつとにたくあんと小判を5枚入れて渡すが、元の旦那は馬鹿にするなと怒って藁のつとを川に投げ捨ててしまった。青竹三本の運の男と塩一升の女のはなし・・・。

「運定めの話」は南は沖縄諸島から北は青森まで全国に類話があります。『子どもに語る日本の昔話3』収録のはなしは、全体を「産神問答」と「炭焼き長者」の二つに分けることができます。まずは、「産土問答」から片付けていきたいと思います。

<参考資料>
『子どもに語る日本の昔話3』稲田和子・筒井悦子著 こぐま社
『日本昔話百選』稲田浩二・稲田和子編著 三省堂
『昔話・伝説小事典』みずうみ書房
『ガイドブック日本の民話』日本民話の会編 講談社
『日本昔話ハンドブック』稲田浩二・稲田和子編 三省堂

2020年3月15日 (日)

イタリアの昔話5 おまけ いちじくについて

昨日放送したNHKの番組「ブラタモリ」は、島原と天草でした。番組の中で、いちじくを南蛮柿と紹介していました。検索してみると、1591年に天正遣欧使節が帰国した際の引率者の神父の記録(手紙)があるそうです。「ポルトガルのリスボンから、いちじくの苗を持ってきた。」天草はいちじくの発祥の地としてフェアなどをされていました。また、唐柿の呼び名もあり、唐から長崎経由で伝わったという説もあるようです。

いちじくは実家のすぐ脇の畑に柿の木と並んであり、秋のおやつとして柿とともに美味しい身近な果実でした。その大きないちじくの木は、鳥と分け合っても十分過ぎるくらいたわわに実が成りました。母が毎年作ってくれるいちじくジャムは美味しかったな。昔の人が渡来のいちじくに”柿”という字を使ったのは、納得できます。

生まれた時からあるものは、あることが普通と思ってしまいがちです。話はとびますが、今の子どもたちにとっては、生まれた時からあるスマホは普通のものなのだろうなと思いました。

2020年3月12日 (木)

イタリアの昔話4 ハーブと「ローズマリーの娘」

「ローズマリーの娘」のローズマリーは、記憶力・集中力を高め、血行促進、抗酸化作用があり「若返りのハーブ」と呼ばれるそうです。(ブログ「ハーブのちから」より)学名は「海のしずく」ラテン語の由来は、ローズマリーの青紫の花が海のしずくのように見えたからとのこと。地中海沿岸の乾燥した地域に自生するハーブです。(ブログ TOKIWAより)常盤植物研究所のブログには、キリストに関する伝説もあるようです。昔は白い花であったが、聖母マリアが子どものキリストを抱いてエジプトに逃れる途中、ローズマリーの茂みにキリストの衣を干すと、花の色が青く変わり、それはマリアの清らかな心を表しているのだそうです。花言葉は貞節・純潔。ヨーロッパでは花嫁から花婿に付き添いの女の子が、貞節の誓いとしてローズマリーの花束を贈るしきたりがあるそうです。

イタリアの昔話「ローズマリーの娘」では、娘は愛するスペイン王が戦争に行って不在の時に、彼の妹三人にいじめられ半殺しにされてしまいます。それでも愛を貫く娘の心根の清らかさが、昔話を通して爽やかな美しさをその香りとともに伝えてくれます。「ローズマリーの娘」はその他にもユニークな雄と雌の竜や、忠義な庭師などの助演者がいて彩りを豊かにしてくれています。

私はシチリアの雰囲気を少しでも味わおうと白山にあるシチリア料理のお店「シチリア屋」に行ってきました。”フィノキット団子”というのがありました。ハーブのフェンネルを丸めてお団子状にしたものに、冷製トマトソースがかかっています。草のお団子・・・食べたことのないお味。お店のメニューには、シチリアでは一般的でシチリア屋の名物と書いてありました。フェンネルは地中海原産で、ラテン語は「小さな干し草」を意味する言葉から由来しているとか。干し草、わかる気がする。かかっているトマトソースはとても美味しかったです。

『みどりの小鳥』にはシチリアの昔話で「とり小屋の王子さま」というはなしがあります。
貧乏のどん底にある靴直しの家に住む三人の娘は、食べるために野草を探し回ってとうとう王さまの領地に入りウイキョウの大きな株を見つけます。ウイキョウはフェンネルのことです。シチリアと「ローズマリーの娘」いかがでしたか?なんだか、シチリアに行った気持ちになりました。
参考資料
『みどりの小鳥』イタロ・カルヴィーノ作 岩波書店

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