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絵本

2020年2月22日 (土)

エッツ「わたしとあそんで」より 山の思い出話

今回は私の子ども時代の思い出話です。農家が貧しかった時代、我が家は小作の後わずかな農地で米を作っていましたが、それだけでは生活が厳しく、牛を飼い炭を焼いて生活費の足しにしていました。私は小学校2年だったと思います。分校から家まで、片道2キロ。4時間授業後給食を食べてから家に帰ると、誰もいませんでした。本校に通っている姉がバスで帰宅するのは5時近くで、まだまだ時間がありました。家族で山に炭焼きに行っていることは知っていました。誰もいない家にひとりでいることが急に寂しくなり、私は家族がいる山へ行こうと思いました。私は思い立つとすぐに行動に移す性格でした。山までの道は家族と何度も通っているので覚えているし、約1時間かかることもわかっていました。

川に沿って二人くらいがやっと歩ける山の際にある狭い道をずっと辿って行くと、山への入り口があります。そこからは道なき道、石がごろごろある斜面をひたすら登って行きます。山の上の方まで来ると、向こう山の中腹から炭焼きの煙が上がっているのが見えます。そう、結構遠いのです。なら梨とりの昔話を聞くと、この道を思い出します。子どもながらに目立つ松の木や水の流れや植生などの目印を覚えていました。母に教えられていたのです。母親は山野草好きで山を愛する人でした。母からは毎回、道中自生している植物のことなどを詳しく聞いていたので、迷いなく行けたのだと思います。遠かったですが、向こうに見える炭焼きの煙が私に勇気を与えてくれました。そして、凛とした山の風が私を励ましてくれている気がしました。一方で、いつも家族と登る山道を、独り占めして登っていることがとても嬉しく心地良かった。私が山に着くと家族は驚いたと思うのですがその記憶はなく、妹に会えて嬉しかった思いしか残っていません。妹は小屋の高い梁から縄を下してブランコを作ってもらっていました。親の仕事が終わるまで、二人でブランコで遊びました。

その日は父親をひとり残して山を下りました。父親は、今夜は炭焼きの寝ずの番をするのです。家に帰り布団に入って眠るまで、私は父親が今いる真っ暗な山のことを想像しました。すぐそこに熊や狐がいる真の暗闇の中、炭を焼く赤い火だけを見つめて、たったひとりでいる父のことを。翌朝、開ける時はギーギー音がする古い板張りの裏口の戸が開いて、父親がにこにこして「ただいま」と帰ってきた時は、心から安堵しました。そして、父親のことをとても尊敬しました。男に生まれていさえすれば、父親の仕事を助けられたのに。男に生まれて、父親のように山にひとりでいられる強い人になりたかったと思っていたのでした。

マリー・ホール・エッツが『わたしとあそんで』の絵本を作ったのは、60才の時でした。そして、私は今ほやほやの61才。子どもの頃を思い出す年齢なのかもしれません。
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2020年2月21日 (金)

エッツ『わたしとあそんで』より

マリー・ホール・エッツの『わたしとあそんで』(福音館書店)は1955年に発行されました。エッツ60才の作品です。30年くらい前私はこの絵本に出会い、「これは私自身の子ども時代そのものだ!」と感動しました。今でも一番好きな絵本ですし、心の友というべき大切な絵本です。頭にリボンをつけた女の子が原っぱに行きます。カエル、カメ、リスなどの動物に「わたしとあそんで」と声をかけますが、みな逃げて行きます。しかし、女の子が音をたてずにじっとしていると動物たちがもどってきました。お日さまは暖かい光を降り注ぎ、優しく女の子を見守ります。鉛筆でしょうか?黒い縁どりに黄と茶色のわずかな彩色、背景は淡いクリーム色で全ページ統一されています。女の子の幸せな気持ちに、読んでいる方も心が満たされます。

私は山陰の山間部に三姉妹の真ん中として育ちました。隣家とは何メートルも離れているような田舎のこと、分校の友達の家に遊びに行きたくても、歩いて10分からそれ以上かかるような家ばかりでしたから、遊び友達はもっぱら姉と妹でした。ずっと家族と過ごしていると、ひとりになりたくなります。私は野原や畑や田んぼ、川など家の周りの自然がすべて好きでした。四季折々に刻々と変化し、二度と同じ風景を見ることはない山と空を飽きることなく朝から夜まで眺め、すべての自然の色が自分の身体に染み入るように感動し、美しいと思いました。暇があれば、おにぎりを作って外で何時間かひとりで過ごしました。これは至福の時でした。土と草の匂いを嗅ぎながらぼんやりしたり本を読んだりしていました。風は冷たい時もあるし優しい時もありました。これは、短大に入るために上京する高校まで続きました。自然は私にとって大切な友達だったのです。

私は幼い時『わたしとあそんで』のような時を過ごしました。楽しそうに鳴いているバッタといっしょに遊びたいのに、私が草むらに入るとみんなが一斉に逃げて行く。何度か繰り返した後にあきらめてじっとしていると、虫たちが戻ってきてまたやかましく鳴くではありませんか。その声を聞いていると、自分が自然の一部になったようでとても楽しかった。しかし、それは容易なことではありません。身体を動かさず気配を消して待つのはとても難しいことでした。せっかく戻ってきても、その嬉しさに少しでも身体が動くと虫は一瞬で去っていきました。

子どもがひとりで過ごす喜びの時、それは誰しも心の奥に大切に持っているものと思います。暗いくて狭い押し入れの中も大好物だったのでは。ひとりで思いを巡らしたあの時間が、果実の種のように自分を作っていると思う時があるのではないでしょうか。
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2020年2月20日 (木)

マリー・ホール・エッツ 『もりのなか』より

『もりのなか』の作者、マリー・ホール・エッツは、1895年にアメリカ ウィスコンシン州で生まれました。父が牧師であったため転々としたけれど、ウィスコンシンのノース・ウッズで子どもの頃に過ごした思い出が一番楽しかったそうです。「私はひとりで暗い森の中へ駆けていき、何時間もすわって、松のこずえを渡る風の音を聞きながら、森の生き物たちが現れるのを待っているのが好きでした。」と語っています。そこには、小鹿をつれた鹿、ヤマアラシ、アナグマ、カメ・・・毒蛇なども現れたそうです。1935年『ペニーさん』(福音館書店)1939年『赤ちゃんのはなし』(福音館書店)に次いで、3作目が1944年『もりのなか』(福音館書店)です。1953年には続編の『また もりへ』を発行しました。

『子どもが孤独(ひとり)でいる時間(とき)』(エリーズ・ボールディング作 松岡享子訳 こぐま社)には、子どもが孤独(ひとり)でいる時に自己を見つめ、取り込んだことを整理する過程において豊かな果実が実ることを示唆しています。『もりのなか』は、ひとりで森へラッパを持って行く男の子のわくわくする気持ちが伝わってきます。カラーでなく白黒の絵本ですが、これが森の奥深さを伝え、イメージする力を高めてくれます。私が注目するのは、地面の描き方です。真っ直ぐに一定の高さが保たれていて、草が繁るしっかりした地面が描かれていることで、より動物たちが列を作って歩く様子に現実味が増します。また、白黒の絵本に唯一ある色が表紙の茶色です。このたった一色が、非常に落ち着きのある世界を感じさせます。

『もりのなか』は私自身の子どもにも毎晩数えきれないほど読んでいました。当時、読んでいる私にとっては退屈な絵本という印象でした。なにしろ字を追っているので、おはなしの世界に入り込めないのです。この絵本ほど誰かが文字を読む声を聞きながら、絵を見るにふさわしい読み方はないでしょう。おそらく子どもの心の中では、アニメーションのように動物たちが動いているに違いありません。完成した大人は、成長途中にある子ども時代の感覚をすっかり忘れています。絵本を読む声に導かれて物語の世界に入り込む子ども特有の読み方を知らないと、シンプルで一見地味な印象を受ける絵本が、こんなにも子どもの心に寄り添った素晴らしい絵本だということに気が付かないでしょう。次回は、エッツの『わたしとあそんで』から私自身の子ども時代の思い出を書きます。

<参考資料>
『もりのなか』『また もりへ』マリー・ホール・エッツ文・絵 まさきるりこ訳 福音館書店
『絵本図書館 世界の絵本作家たち』光吉夏弥作 ブックグローブ社
『マリー・ホール・エッツの世界』木城絵本の郷編・発行
『3人の絵本作家』ブックグローブ社
『子どもが孤独(ひとり)でいる時間(とき)』エリーズ・ボールディング著 こぐま社
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2019年4月 8日 (月)

スズキコージさん

NHKのEテレ日曜美術館でスズキコージさんの回を見ました。スズキコージさんを取り上げてくださって、本当にありがとうございますと言いたいです。期待通りのコージさんで大満足です!

私のおはなし会の名称は、「ウシバスおはなし会」。世田谷文学館でスズキコージさんの講演会があった時、直接ご本人に承諾を得て使わせていただいております。「いいですよ!」というご返事でした。感謝しております。

「ウシバス」は、ウシバスおはなし会の子どもたちが大好きな絵本です。毎回この絵本を読んでいるので内容はすっかりわかっているけれど、子どもたちはその世界を存分に楽しんでいます。こういう世界を創造できるスズキコージさんという人物と相対して彼を感じるのが楽しいのです。

「ウシバス」(あかね書房)が発売された当時、もう25年くらい前のこと。私はボランティアのブックトークを1年に1回小学校全学年に行っていました。2年生に「ウシバス」を読んだところ、特に男の子の原始的なエネルギーといえるようなパワーを持って、子どもたちはこの絵本を受け入れました。ブックトーク後には自分自身がウシバスと化して廊下を走って行ってしまいました。子どもたちがありのままの自由な空気を出せる担任の学級作りがあったことも影響しています。その時の感動「こんな絵本、見たことない!」という私の思いを名称として今に残しています。後日、担任の先生に聞いたところ、家庭でもウシバスパワーが続いていたため、保護者から問合せがあったとか。

園児たちは、スズキコージという名前を尊敬をこめて口に出します。もう少し大きくなって、スズキコージさんの他の作品に出会った時の喜びを感じてほしいなと思います★

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2017年2月25日 (土)

絵本の読み聞かせ 6

保育園のおはなし会のために部屋に入った時、ひとりの男の子が私に、「きょうは、どんな絵本かな~。楽しみだな~。」とにこにこして話しかけてくれました。そして、私が途中でわらべうた遊びからどんどんわらべうたに脱線していきそうになると、「もっと、絵本はないの?」「絵本を読んで!」と元に戻してくれました。その男の子は、いつも、そんな風に絵本を楽しみにしていることを、行動に表します。

先日、お散歩帰りの保育園の4・5才児クラスの子どもたちとばったり出会った時、子どもたちが私に「どこに行くの?」と聞きました。「駅ビルよ。」と応えると、「きっと、本を買いに行くんだよ。」と話しているのが聞こえました。以前、地元の小学校でボランティアで10年間ブックトークをしていたのですが、その時のことを思い出しました。小学生は私の名前は憶えていないけれど、「あっ、ブックトークの人だ!本の人だ!」という声が、自転車で走る私の背中からはいつも聞こえていました。

私がこれまで行ってきたささやかなボランティア活動は、「本を大切なものとして、心をこめて子どもたちに良い本との出会いの場」を作ることです。「良い本」とは、子どもの心の成長に沿い子どもが求めている本当の喜びを得られる質の高い本のことです。楽しみのうちに、本への信頼感やこれから自分で読んでいくであろう本に対しての期待感が育ちます。保育園のおはなし会では、幼い子どもたちが初めて出会う本として、素晴らしい絵本との出会いを橋渡しして行きたいと思います。

絵本の世界は、子どもに身近なようでとても深遠なものです。大人は文を読み始めると、もう絵を読むことはしなくなりますが、絵を読む子どもたちは絵本の隅々まで小さな描写も見逃しはしません。絵が物語っている内容を、子どもたちは私にたくさん教えてくれます。子どもたちは、絵本の先生なのです。絵本を選ぶ時はつい独り善がりになりがちですが、生きた子どもたちの感覚を忘れずに、子どもが本当に求めている絵本の喜びが私の喜びになるような、絵本の読み聞かせをしたいと思います。

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2017年2月18日 (土)

絵本の読み聞かせ 5

 私は自分の子どもや自分より若い人に対して、つい「ええ格好しい」をしてしまいがちな人です。人生の先輩としての思い上がりから意味のないアドバイスを会話に入れてしまっていたのです。人生の後半になった今頃、気がついて反省しています。相手よりもちょっとだけ長く生きている経験の中から言葉をかけてあげるのは、相手が私にアドバイスを求めてきた時だけ!そうでない時もつい善き事をしていると思って偉ぶってしまうのは、はなはだ迷惑な”おせっかい”おばさんのすることでした。これは、絵本の読み聞かせについても言えると思います。私はおはなし会で読む絵本を選んでいる時、「子どもたちのお友だち関係に役立つかもしれない」「教訓が活かせるかもしれない」などと”おせっかい”な気持ちがむくむくと湧いてきていることに気がついて、「危なかった・・・!」と思う瞬間があります。

さて、子どもたちは、絵本の読み聞かせになにを望んでいるのでしょうか?おはなし会に来る子は、経験したことのない世界を体験できる喜びを絵本の読み聞かせに期待しています。今日はどんな魅力的な登場人物と出会えるだろうか?主人公と共に冒険に行って帰るわくわくした時間が今日も過ごせるだろうかと期待して来るのです。子どもたちが読み手を尊敬してくれるとしたら、それは、登場人物別に巧みに声色を変えた読み方でもなく、おせっかいな気持ちの押し付けでもなく、心に残る喜びのひと時を体験させてくれた素晴らしい絵本を選んでくれた読み手に対してです。もちろん、素晴らしい絵本の作者については、言うまでもありませんね。

 心理学で「共感」は、他の人の情動を自分自身が理解するものだそうです。「情動」とは喜び・哀しみ・怒り・恐れ・嫌悪・驚きなどの気持ちの動きとそれに伴う身体の変化を言います。子どもたちは、絵本の主人公がある原因から引き起こす行動、そしてその結果という一連の流れから、主人公に共感して心を大きく動かされます。昔話や絵本の読み聞かせをする時、私は子どもたちは、「いろいろな味の感情を食べて味わっているな」という気がします。そして、その共感こそ子どもたちの成長に関わるもの、子どもたち自身が求めている本当のものだという気がしてなりません。

私は小学校低学年の時、アンデルセンの物語が大好きでした。知っているおはなしなのに、毎回読むたびに大粒の涙を流し、泣きぬれていました。子どもであることの非力さ、虚しさを日々感じていましたし、早く大人になってやりたいことをしたいとも思っていました。絵本やおはなしの主人公が小さくとも勇気や力で世の中を渡って行く話に、子ども心に胸のすく思いがしました。特にアンデルセンの物語はそのふり幅が激しいので、気持ちが大きく動いたのでしょうね。

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2017年2月 5日 (日)

絵本の読み聞かせ 4

今回は、「こすずめのぼうけん」(ルース・エインワース作 石井桃子訳 堀内誠一画 福音館書店 傑作集1977年刊)について。

原作は、「Listen with Mother Tales」ロンドンで出版された本です。翻訳者の石井桃子さんは原作から絵本になる経緯を、「石井桃子全集 7」(岩波書店)に”「こすずめのぼうけん」をめぐって”と題して書かれています。この本は「おはなしをしてー五歳以下の子どものためのお話集」という小さいペーパーバックの本で、石井さんと交流があったイギリスの児童図書館アイリーン・コルウェルさんが1962年に送ってくださったものです。その中で一番好きだったはなしが、「こすずめのぼうけん」だったそうです。

また、作者のルース・エインズワース(1908-1984)は、イギリスでラジオの脚本家をしていました。BBCのListen with Mother という親子向けの番組は、毎週平日のみ1時45分から15分間、歌やナーサリーライム、おはなしなどをしていて、1万人以上の人が聞く人気番組だったそうです。(1950-1982)*ウィキペディアより エインズワースさんの本は、他にも絵本や幼年文学が出版されています。最近、福音館書店でハード化された絵本「きかんしゃホブノブ」もエインズワースの作品です。

石井さんは、「こすずめのぼうけん」について以下のように書かれています。

・話の骨格が立派にできていて、ひとことをゆるがせにしていない・主人公は子どもの知っている世界の範囲に出てくる具体的なもの ・おはなしの最初で主人公が紹介され、主人公の住んでいる状況が短く説明され、すぐに事件が始まる・・・昔話の定石を忠実に踏襲している ・くり返しが多い 繰り返しを楽しむ子どもの成長にも合う ・上手に編み込まれた縄のように物語が進展していき、結末を迎える ・子どものせまい知識と広い空想力がフルに動員される

絵本は文と絵が合わさって物語の情報を子どもたちに届けるものですが、「こすずめのぼうけん」の原作はもともとはラジオの作品だったため、5才以下の子どもが耳で聞いても情景を十分に思い描くことができるように、子どもの気持ちに沿って簡潔に練り上げられていたのです。また、絵本では堀内誠一さんの絵も素敵で、色彩が心地良いです。

私が保育園で「こすずめのぼうけん」を読んだ時、子どもたちはこすずめが遠くへ遠くへと飛ぶことを強く感じているなと思いました。原題は、「THE SPARROW WHO FLEW TOO FAR あまり遠くまでとんでいったすずめ」。冒険ではありますが、やり過ぎて収拾がつかなくなった状況を何とかしようと試みるこすずめの姿は、けなげで応援したくなります。子どもたちは、その世界の中を十分理解ができ、自分のことのように共感もし、想像を楽しむことができます。頑張ったこすずめをおぶって飛ぶ母さんすずめの頼りがいのあること。こすずめは疲れ切った身体と心を、母さんに安心してゆだね安らぐことができました。

* ルース・エインワースと「こすずめのぼうけん」については、瀬田貞二さんも書かれたいます。「幼い子の文学」瀬田貞二著 中央公論社

 「つまり、五歳の人間には五歳なりの、十歳の人間には十歳なりの重大問題があります。それをとらえて、人生のドラマを組み立てること、それが児童文学の問題です。・・・子どもに理解できるのは、はっきりしたすがた、そして、それが動いて、事件をつくることです。」 --「石井桃子全集 7」より

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2016年12月30日 (金)

絵本の読み聞かせ 3 絵本の余韻

 『ちいさなヒッポ』と似たような展開の絵本が日本にもあります。『ちいさなねこ』(石井桃子作 横内襄絵 福音館書店)は、ちいさな子ねこが家を抜け出して冒険に出たものの、大きな犬に追いかけられて高い木のてっぺんに上りますが、犬は木の下から逃げようとしません。子ねこを探していたお母さんねこは子ねこの声を聞きつけ、犬を追い払い子ねこを助けました。

『ちいさなねこ』は、『ちいさなヒッポ』同様幼い子どもの気持ちをひきつけて最後まで離さない優れた絵本です。表紙は子ねこの真正面からの姿が、裏表紙は後ろ姿が同じ大きさで描かれています。以前、保育園の3才児クラスで裏表紙を見せた時のことです。子どもたちは、子ねこの後ろ姿を見て、子ねこが「大きくなってる!」と言いました。絵本を一冊読み終わった後に、子ねこが大きく成長したことを強く感じたに違いありません。

 私は絵本を最後まで読み終わった後にもう一度表紙を見せる時間が、読み聞かせの中で一番好きです。ここにいるみんなで、ついさっきまでいたおはなしの世界が終わりを告げる寂しさを、子どもたちと共有できるからです。私は子どもたちに感想を聞いて、いい時間を台無しにするようなもったいないことはしません。ただ、子どもたちから自然に出てくる言葉はあります。言葉の手持ちが少ない子どもは、気持ちをうまく言い表す能力がまだないけれど、心の中にはしっかりと納まっているものだと、私は自分の子ども時代の経験から思います。ほんの数分、数秒かもしれない短い時間ですが、大人同士で行う読書会のような一冊の本をめぐっての共感がうれしいのです。

絵本を読み終わった後の余韻は、優れた絵本ほど大きいものです。読み終わった後の余韻の感じで、その絵本が子どもの心の成長に沿って子どもの目線で真摯に描かれた絵本かどうかわかる気がします。子どもの前で読むに値すると選んだ絵本が、大人の一方的な子ども感の押し付けの絵本であったことが、見抜けなかった自分にがっかりします。私は大人とは違う子どもの目線と気持ちで作られた絵本で、子どもたちと喜びを分かち合いたいのです。

 家庭で親子で絵本を読む場合は、子どもたちは大好きな人に読んでもらうことがまず最大の楽しみであり、絵本に足りないところはその場で聞いて満足するでしょう。しかし、大勢の子どもたちを前にするおはなし会では、その1冊は非常にもったいない時間だったと思うのです。家庭での絵本の読み聞かせと、おはなし会での絵本の読み聞かせは、個人的な楽しみとみんなで味わう楽しみとの違いがあります。みんなでおはなしの世界をともに旅をしてきたことは、間接的な体験としては格別のものがあると思います。

私は絵本の読み聞かせが成功するには、70%が絵本の選び方、あとは、プログラムの組み方と読み方(よく練習すること!)だと思います。私は絵本を選びプログラムが決まるまでに、結構時間がかかります。(忙しい時は、時間をかけませんが)プログラムが決まれば、後はひたすら読む練習をするだけです。

2016年12月25日 (日)

絵本の読み聞かせ 2  『ちいさなヒッポ』

 『ちいさなヒッポ』(マーシャ・ブラウン作 偕成社)は、ヒッポという名のかばの子が心身ともに大きく成長する絵本です。

川べのパピルスの茂みで生まれたヒッポが、かばの言葉を覚える時がきました。お母さんかばに、「グァオ」が一番大事な言葉だと教えられ、ヒッポは何度も練習しました。ある日、ヒッポはほかのかばたちが寝ている間にひとりで水面に上がってみました。そこで、大きなワニにしっぽを噛みつかれたのです。ワニはヒッポを深い水の底にひっぱりはじめます。ヒッポは、「グッ、グッ、グァオ!たすけて!」と叫びました。お母さんかばがヒッポの叫び声を聞きつけ駆け付けてくれ、ヒッポは助かりました。その晩、ヒッポはお小言をもらいます。「わすれちゃだめ!ちいさなかばは、どんなときでも 『グァオ』ってさけぶのよ!」「グァオ!おかあさん」

 この絵本は、同じくらいの年のヒッポに親近感を覚えた子どもたちが、自分とヒッポを重ねておはなしの世界を楽しめるよう巧みに構成されています。ヒッポのいる場所、産まれてからの様子などが簡潔ながら丁寧に描かれているため、冒険するヒッポの背景がよく理解できます。おはなしの土台がしっかりと作られています。

次に12ページは、「おかあさんのそばに いさえすれば、ヒッポはこわいものなしでした。こんなおおきなかばに ちょっかいをだすやつなんて、どこにいるでしょう?」親子で顔を見合わせるほのぼのとした光景が描かれている左ページと対照的に、右ページの端にはふてぶてしい感じのワニが描かれています。子どもたちは、ここで、ワニが何らかの形でヒッポに関わってくる悪いやつだということを認識します。おはなしの世界を理解する上で助けを必要とする幼い子どもへの道しるべであり、この先の展開を予想してワクワクドキドキするキーとしての役割があります。

言葉を覚えたてのヒッポが、動物たちに声かけをするほのぼのとしたシーンの後、突然ワニに掴まるという恐怖が襲います。生と死をわけた一瞬は、ヒッポの「グァオ!」という叫び声でした。3才児の子どもたちは、ワニに襲われるシーンをすごく怖がりますが、お母さんかばに助けられて心から安心します。危機を脱しただけでなく、子どもたちが大好きな、お母さんという揺るぎない安全基地の存在に包まれる暖かさも感じることでしょう。

絵本をおしまいまで読んでからもう一度見せた表紙を、子どもたちはまじまじとよく見ます。お母さんの大きさと強さを感じ、たくましく成長したヒッポの姿を自分と重ねて喜びを感じます。豊かな感情が、おはなしの余韻として残ります。

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『絵本を語る』マーシャ・ブラウン著 ブック・グローブ社 64p

「・・・子どもは、驚くべき激しさで変化を見せはじめたこれからの世界で、家庭をつくって暮らしていかなくてはなりません。このような未来へ向けて、子どもは全き人格となるために、私たちの世界から何を吸収して成長していくのでしょう。子どもが人格を形成する上で本は力になります。」

2014年12月14日 (日)

絵本「がたんごとんがたんごとん」と黒い汽車

『がたんごとんがたんごとん』(福音館書店)は、1987年に出版されました。この絵本は、出版されて27年も経つのに、まったく内容が色あせることがありません。安西さんは、「頑張らない絵」「頑張った後を残さない絵」を描き、重くなるのを避けていたそうです。カラフルな色彩のカラートーンで描かれた絵本は、子どもたちを絵本の世界に気軽に招き入れてくれます。

この絵本を喜ぶ1才から2才くらいの子どもたちは、積木を汽車や食べ物に見立てる脳の機能が発達する時期です。絵本『がたんごとんがたんごとん』の中にある黒い汽車は、まるで、積木を走らせているようです。子どもの日常の遊びが、絵本の中でも想像力を広げて展開される楽しさがあります。

安西水丸さんは、千葉房総半島の先にある千倉で育ちました。安西さんが雑誌『ガロ』に描かれていた頃の代表作「青い時代」には、『がたんごとんがたんごとん』に出てくる、あのただただ黒い汽車が効果的に使われています。

続編の『がたんごとんがたんごとんざぶんざぶん』は、安西さんが初めてご自分で出版社の持ち込みをされた絵本です。絵本『がたんごとんがたんごとん』が名作となりいろいろな声を聞き、続編を描かれました。2010年に福音館書店の「こどものとも 0.1.2シリーズ」として出されました。例の黒い汽車は、海岸線沿いを走ります。ゆったりとしたリズムで汽車が走る「がたんごとんがたんごとん」に波の「ざぶんざぶん」が付け加えられると、なんとまた心を揺さぶられるような楽しいリズムになるのでしょう!汽車と波の音に贅沢に揺られて着いた先は、海です。みんなで、たくさん食べて、遊んで楽しかった~という余韻が残ります。

絵本『がたんごとんがたんごとん』は、『Chug Chug Train』というタイトルで海外でも出版されています「Chug Chug」というのは、「シュッ シュッ ポッ ポッ」という意味です。海外のこの汽車は、とても軽快に走ります。

残念ながら、作者の安西水丸さんは今年お亡くなりになりました。心から、ご冥福をお祈りします。

参考資料:

『安西水丸』KAWADE夢ムック 河出書房

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