無料ブログはココログ

« 2019年9月 | トップページ | 2019年11月 »

2019年10月

2019年10月17日 (木)

国分寺キッズステーションおはなし会

国分寺キッズステーションおはなし会 4・5才児クラス 2019年10月

カラスの親子(人形) 「ばったくん」五味太郎作 福音館書店 「ころころパンケーキ」スベン・オットー作 偕成社 「こんとあき」林明子作福音館書店 「ウシバス」スズキコージ作 あかね書房 

<感想> 「こんとあき」の絵本を取り出すと、子どもたちから大きな大きなため息がでました。「こんとあき」は保育園にあり、よく知っていたためでした。ごめんなさい。みんなが楽しみにしている読み聞かせなのに。それでも、「読んで!」の声があがったので、みんなも気を取り直して聞いてくれました。やはり、集中。よくできている絵本は何度読んでも楽しいのです。

ばった問題・・・それほどでもないです。4・5才児はみんなばったをよく知っていました。(なんか、頼もしい感じ。)4才児の幼い子が、「ばったくん」が跳んだ跡を「うんちだ」と言うのは、3才児同様にまだ現実からイメージを描くことができないため。しっかりとばったくんを追いかけて見ることができました。

「ころころパンケーキ」前月おはなし会で語った”ホットケーキ”を絵本を見せながら語りました。7人の子どもたちがお母さんをほめる場面は一番凝視していたかな。前月のおはなし会で、私は7人の子どもをイメージしていなくて言葉だけで言葉遊び風に語っていたので、子どもたちはイメージが描けなかったかもしれません。最後にぶたがホットケーキを食べる場面は迫力たっぷり!スベン・オットーは、昔話の骨格をよく理解して昔話絵本を作っています。スベン・オットーの昔話の絵本が絶版になっているのは、とても残念です。

 

国分寺キッズステーションおはなし会

国分寺キッズステーションおはなし会 2才児・3才児クラス 2019年10月

<2才児クラス> ♪ どんぐりころちゃん、ねーずみねーずみ(人形) 「ねーずみねーずみ どーこいきゃ」こがようこ構成・文 降矢なな絵 童心社 「おにぎり」平山英三文 平山和子絵 福音館書店 「りんごりんごりんご りんごりんごりんご」安西水丸作 主婦の友社 「ばったくん」五味太郎作 福音館書店

<3才児クラス> ♪ ねーずみねーずみ(人形)、きーりすちょん 「くさむらのかくれんぼ」今森光彦作 福音館書店(こどものとも年少版 2016年5月号)「ばったくん」五味太郎作 福音館書店 「ちいさなヒッポ」マーシャ・ブラウン作 偕成社 「ねーずみねーずみどーこいきゃ」こがようこ構成 降矢なな絵 童心社 

(感想)今日はわらべうたで楽しく遊びました。2才児クラスは、♪ どんぐりころちゃんでは自分がどんぐりになって、3才児クラスは、♪ きーりすちょんで、ばったになってぴょんぴょん跳ねました。2才児は当然ながら、3才児でばったを知らない子どもがほとんどでした。かまきりは知っているけどバッタはまだ知らない・・・。数日前、我が家で庭にほったらかししてあった植木鉢から、小さいバッタの子どもがぴょんぴょん跳ねて飛び出したのです。かわいかったな。しかし、その物を現実に知らないと、子どもはその世界が理解できなくて楽しめない。「知っている」と「知らない」の差は、絵本を読む子どもにとって大きいのです。

「りんごりんごりんご」は2才児が知っている物ばかりが出てきます。ぶらんこ、穴、たくさんの果物・・・。2才児はやすやすと絵本の世界に入って楽しみます。3才児に読んだ「ちいさなヒッポ」はアフリカが舞台。かばとワニはみんなが知っています。ヒッポが言葉を覚えていく過程でいろんな動物に話しかけてみる様子も身近なこと。ヒッポはおそろしいワニに襲われますが、お母さんに助けられた時は、みんな心底ほっとしました。この内容は3才児に十分理解でき、自分に引き付けて絵本の世界にすっぽりと入ることができます。

 

 

2019年10月 1日 (火)

「蜂蜜と遠雷」より 音楽とおはなし

 直木賞と本屋大賞のふたつを受賞している「蜂蜜と遠雷 上下」(恩田陸著 幻冬舎刊)を読んだ。巻末にある担当編集者の解説を読むと、恩田さんの連載は7年に及び、その間浜松のピアノコンクールには4回足を運ばれたとか。じっくりと作品を紡ぎあげられた経緯が伝わってくる。私は以前から音楽とおはなしの語りは共通する部分があると思っていた。演奏するには作曲者の思いをいかに伝えるかが大事だという。作曲当時の時代や作曲家自身の人生や思いを譜面から読み取り考証し、演奏する世界観を作っていく。恩田さんは作品の中で、登場人物にこう語らせている。「確かに、曲の仕組みや当時の背景を知ることは重要だ。どんな音で演奏され、どんな風に聞こえたか、知ることは大事だ・・・音楽は、常に「現在」でなければならない。「現在」を共に「生きる」ものでなければ意味がないのだ。」また、生け花と音楽を比較した部分では、音楽は活け花と同じで一瞬ですぐに消えてしまうが、「再現している時は永遠の一瞬を生きることができる」と語らせている。

 私は昔話や創作ものを覚えて語る時は、作品が作られた年代の風景や時代背景、たくさんの語り継いできた人々の思い、または作者(再話者)の意図などを読み取りつつ、私の中のおはなしを練り上げていく。はじめは白黒で枠組みがない世界。そこからひとつひとつ色を付けて血の通った人々や景色を作り出して行く。その段階が一番楽しい時だ。3分や5分の昔話からどれだけ広い世界が見えてくることだろう。たくさんの人々が生き生きと私の前で(心の中で)動き出す時間はとても楽しい。私は人が語るおはなしを聞く時も、全身に想像力を巡らせておはなしの世界に入り堪能したい。おはなしを聞きたいというよりも、おはなしを見て感じたいのだ。「おはなしが見える」ということは、語り手がどれほどおはなしの世界を紡ぎあげているかによるという。想像力というのは、神秘的でおそろしく深い。

 恩田さんは、「蜂蜜と遠雷」の登場人物のひとりのピアニストがひとつの曲を譜面から演奏する形に至るまでを、掃除に例えて描写されている。小部屋ならまだしも大きな屋敷を隅々まで綺麗にするには技術のすべてを駆使した総力戦。しかし、辛抱強く磨いていくと毎日さまざまな発見があり、少しづつ屋敷は綺麗になり自分の一部となっていく・・・。 昔々に作られて今日まで語り継がれてきた昔話を現代で語る。昔話は、一瞬にして私たちを昔の世界へ運んでくれるが、時代が異なっても人間の日々の営みや考え方に変わりはない。紀元前のローマ時代の生活においても、現代人にはそれほど違和感がない部分が多い。昔話を現代の語り手が語れば、それは現代のおはなしに自然となっているのではないかと思った。

 かつて語りは吟遊詩人というひとつの職業人が、歌ではなしを語った。活版印刷が発達し印刷物が広く流布するまでの時代、識字率が低い時代は、語りは耳から歌のように聞くものだったに違いない。さらに、文明化される前、人々が鬱蒼とした森の中で暮らしていた時代には、歌とおはなしは祈りの儀式であったであろう。音楽と語りはそもそも一体の物でもあったから、共通点があるのかな?こんなことを考えていると際限がなく時が過ぎる。早く考えるのをやめて、本物の家の掃除にとりかからなくては!

« 2019年9月 | トップページ | 2019年11月 »

最近のトラックバック

2020年6月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30